●十二因縁
平成二十三年九月
 お釈迦様は、二千五百年前インドのブダガヤの菩提樹の下で、十二因縁を観じて悟りを開かれたと伝えられている。しかしこの十二因縁の仏教学者の説明は不明確なものが多く、本当に 十二因縁を釈尊はお説きになったんだろうかと云う疑問が生じる。たとえば十二因縁は次のように説かれる。
 「無明(無知)によって行(形成作用)がある。行によって識(分別作用)がある。識によって名色(名称と形相、すなわち五蘊=人身のこと)がある。名色によって六処(六つの感官、眼耳鼻舌身意)がある。六処によって触(外界との接触)がある。触によって受(感受作用)がある。受によって愛(欲望)がある。愛によって取(執着)がある。取によって有(存在)がある。有によって生(生まれること)がある。生によって老死・愁・悲・苦・悩が生ずる。これらのものによって苦の集まりができる。これが縁りて起こるという。」 (相応部経典巻二、『法説』)
 此れでは何のことかよく分からないであろう。私は釈尊が自らの人生をふり返り根源的生への執着、自己保存、自我、我欲、貪瞋痴を断って解脱されたということは、よく分かっていたが十二因縁の教理に当てはめるとうまく説明出来ないきらいがあった。
 ところが、宮元啓一博士の著書には比較的上手に説明されており納得が入った。

 (1)無明 アヴィッディヤー。根本的生存欲、自覚できないので無明。
 (2)行 サンスカーラ。生きるための盲目的な記憶意思などの心の作用。
 (3)識 ヴィジュ二ャーナ。判断作用。
 (4)名色 ナー・マルーパ。名称と形、判断の対象。
 (5)六入 眼耳鼻舌意の感官。
 (6)触 感官と対象の接触。
 (7)受 感受作用「知覚」。
 (8)愛 タンハー、トリシュナー。渇愛のこと、対象を認識したことから生じる盲目的衝動。
 (9)取 ウパーダーナ、執着。この執着にもとづいて行為(業)をなす。
 (10)有 パヴァ。輪廻的生存。
 (11)生 生まれ変わる。
 (12)老死

 今の自分の生活状態(輪廻的生存状況)を十二因縁の順に遡ってその根本原因を訪ねると無明、根本的生存欲にたどり着く。従って無明を滅ぼすと解脱できるのである。そのとき自分は永遠の今にあり真我そのものである。

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