●幸福とは何か<1>
平成二十三年十月
 幸福とは何か、古来賢者が思索しているがなかなかその通りだ。と納得できた説は少ない。
 ブレーズ・パスカルは『パンセ』において
 「誰もが幸福になりたいと思っている。そこに例外はない・・・・・。これこそが、首を吊ろうとする人をもふくめて、あらゆる人間のあらゆる行為の動機である」(『パンセ』425)
 「絶えず幸福になろうとしている状態にあるかぎり、われわれはけっして幸福になることがない」(『パンセ』172)とのべ、幸福の獲得の難しさを述べている。
 幸福を定義すれば「満足すること」であるが、人は何々ができたら、何々が手に入ったら幸福と、幸福、満足に条件を付けるので、先ず条件成就が難しい。
 曰く「宝くじが当たって3億円入ったら、幸せ。イケメンの好きな人と若し結婚できたら幸せ」このような物理的次元の条件でさえその成就はなかなか難しい。次に、若し3億円当たったとして、イケメンの彼氏と結婚できたとしてその幸福にいつまで満足できるか。その状態がいつまでも続くかというとそれも難しい。
 ここで、幸福の条件を挙げてみた。
 「人生の伴侶、家族、権力、金、酒、ごちそう、賞賛、尊敬、羨望、愛される事、よい家、地位、 名誉、友人」これらは、ある程度努力によって獲得できるが永続しない事が多い。お釈迦様は、これを諸行無常とおっしゃった。しかし、こうしてみると、幸福とは人間の努力の目的、動機になることが分かる。
 ここでもう少し精神的に高次元の幸福の条件を考えてみる。与えること、相互理解、心と心の調和、共感、人を幸福にする、人に親切にする、無償の愛、魂の衝動の実現、使命の達成、魂の経験、魂の冒険。
 このような幸福は、余り他人や、外的条件に左右されにくくなってきているが、永続は、やはり難しい。
 そこで、今自分にあるものの中で、また会ったことの中で、感謝できること、嬉しいこと、幸福なことこれを数え上げて幸福を感じてみる。このレベルで幸福とはそれを発見できる能力、またそれを感じ、味わい喜べる能力であると分かる。

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